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映画「空気人形」のコスプレをしたグロロちゃん。
この写真の記事はこちら↓
「空気人形」
http://aika773.livedoor.blog/archives/6577047.html 

この記事では、グロロちゃんのコスプレがメインだったのですが、その後、WOWOWにて「空気人形」の放送がありました。
で、超ひさしぶりに見ました。
※WOWOWでは、9月19日にも放送があるようです。

前に見たときは、2009年の公開時に劇場で見ました。
実に10年ぶりの再会です。
もちろん、初見の時はドーラーではありませんでしたし、ドーラーになるとも思ってませんでした。
今回、ドーラーになったことで見え方が変わったか、というのが見る前に注目していたポイントです。

本題の、見終わっての感想です。
古い映画ということもあり、ネタバレに配慮してませんので、ご注意くたさい。

まず、やっぱりおもしろかったです。
何がおもしろかったかと言うと、物語を知っていることもあって、今回は細かい演出に気づけたことが良かったです。
「あれは、そういう意味か」と気づけると、楽しいじゃないですか。
この映画には、そうした部分が、たくさん用意されていることに気づいたんです。
以下、気づいた点を書き出してみます。
整理の意味もあって、登場人物別にしております。

●空気人形の「のぞみ」 
心を持ってしまった空気人形。
自分が性欲処理の「代用品」 だと知ってます。※重要
キーワード「代用品」。
彼女の影は、空気人形であるために、透けてます。

(本当は、服を着ているので透けないと思うけど、ファンタジーですから)
当然のことながら、彼女の中は空気です。それは「空っぽ」ということでもあります。※重要
キーワード空っぽ」と「空気」。
この2つのキーワードは、多くの登場人物で、形を変えて繰り返されるんです。
彼女が好きな物のひとつは、瓶です。
瓶は「空っぽ」だけど光にかざすと美しい。つまりは彼女を象徴しているんです。
影が透けていることも彼女が瓶であることを示す演出だと思いました。
あとキーワードとは離れますか、彼女は誕生日にもこだわりがあります。
これは、命を持ったからじゃないかと。
命を持った日ではなく、お迎えされた日が誕生日になんているのです。
しかし、人形だったときなので、彼女はその日のことを覚えてないし、納得もしてないようです。
最後の最後に誕生日の夢を見るのも、そのこだわりのあらわれなのかと。

●老人、敬一
空き地などで、「のぞみ」と会う老人。
世捨て人のようであり、死を待っているようにも見える。
自分のことを「空っぽ」だと言い、みんなのことも「空っぽ」だと言う。
さらに、肺に病があるらしく常に酸素吸入器を鼻に付けている(体内に空気を送り込んでいる。空気人形と同じ)
元は代役の国語講師であり、代用品として生きてきた。
これだけ符合すれば、「のぞみ」も自分とこの老人は同じだと考えますよ。
「のぞみ」は自分の手が冷たいことを気にしてますが、敬一は、「手が冷たい人は心が温かい」と言ってくれます。いいじいちゃんだ。

●未亡人、千代子
 ニュースを見てメモをとり、「その事件は自分がやりました」と交番に自首しに行くことを日課としているおばあさん。
かなり謎の存在ですが、おそらくこれは「率先して代用品」になろうとしているのじゃないかな。
彼女は、役割を持っておらず、代役で良いから役割を欲している。

●過食症の女、美希
ひたすら食べるだけの女。
精神的に病んでいるのは、間違いない。
中が空気である「のぞみ」と対照的な存在であり、「中が詰まってる」。ぎちぎちに詰まってる。
でも、満たされてはいない点は、空気人形とかわりない。

●人形師、園田
「のぞみ」を作ったラブドール職人。
工場に現れた「のぞみ」に驚いたりせずに「おかえり」と声をかける。やさしい。
ドールが命を持つことに、疑問を持たない。そこもよい。
「のぞみ」に里帰りしたドールを見せて「戻ってくると、みんな顔が違う。どれだけ愛されたか分かる。それが命を持つということじゃないかな」と言うのですが、これには首がもげるほどうなずきました。園田のシーンは、短いのですが、ほかにも良い台詞がたくさん。
これはドーラーにすごく響く人物であり、お迎えしてより好きになりました。

●純一
「のぞみ」が、恋をするレンタルビデオ屋の店員。
過去に彼女を失った(死んだ)過去があるらしい。
「のぞみ」に穴が開き、空気が抜けてしまった時に、彼女に息を吹き込む。
その後、「のぞみ」が空気ポンプを捨ててしまうのが、恋する乙女ですよね。
好きな彼氏が吹き込んでくれた息で、満たされたままで居たいのです。
この瞬間から、彼女の中身は空気でも空っぽでもなくなり「愛する者の息」が詰まっている。
最終的に「のぞみ」は「過去の純一の彼女の代用品でよいから、愛されたい」と決断します。
そのときに純一が望むのは、「空気を抜くこと」。
「のぞみ」とベッドに入ると、空気を抜き、また吹き込むを繰り返す。
これ、初見では意味がわからなかったのだけど、今回見て思ったのは、純一は過去に彼女を失ったときに命を救いきれなかったのかも。それで空気を抜く(死ぬ)、空気を吹き込む(生かす)を繰り返そうとするのか?
ちなみに、この行為は最後に悲劇を生みます。
「のぞみ」は、純一の望む行為を彼にもしてあげようとして、彼の腹を割いて(空気を抜くため)、口から空気を吹き込もうとします。
(ちなみに「のぞみ」の息は愛する男の吹き込んだ空気なので、彼女は息を吐くことにも普段は躊躇している。その大切な息を、愛する男に吹き込もうとする)
しかし、人間である純一は、出血多量で死んでしまいます。
切ない。

●人形の持ち主、秀雄
最後にドーラーである秀雄です。
彼のシーンは、どれをとっても「わかる」というモノばかり。
「のぞみ」と生活するシーンは、どれもそうです。
 が、命をもった「のぞみ」に対して「元の人形にもどってくれ」と言います。
このあたりから「そりゃないだろう」となります。いや、気持ちは分かるんです。でもね。
 
秀雄は、仕事も含め人間関係に疲れ切ってます。
 「のぞみ」という名も別れた彼女の名であり、彼女との間に「面倒な人間関係」があって別れたのが分かります。
そんな彼にとって、自分の好きに出来るドールが必要なのであって、命を持って自分の意志で動く 「のぞみ」は、望んだものとは違うのですよね。
ドーラーになってみると「自分のドールが命を持つ」のは歓迎しますが、「自分のことを愛してくれない」のは、 かなり辛い状況ですよね。
今のドールたちにも、性格のようなモノを感じてますが、それだって命を持った後に、その通りの性格なのかは分からないし。
想像するだけで、辛い。
家を飛び出した「のぞみ」を
秀雄は、必死で探し回るのでずが、そのシーンで私は、彼を許しました。

 ●ラストシーン
死を迎える「のぞみ」。場所はゴミ捨て場。
(死にそうなのは、
純一に息を吹き込んで、体内の空気を失ったのが原因?)
彼女の周りには瓶とリンゴが並べられています。
(瓶は空っぽの人間を意味する? リンゴは中の詰まった人間?)
ぼんやりする意識の中で、子供人形を抱えて、
「のぞみ」は出会った人たちに祝福される誕生日の夢を見る。
(ゴミ捨て場の瓶とリンゴは、この誕生会に来ている人々を象徴しているのかな、と)
 夢でケーキのロウソクを吹き消すと、現実では目の前にあったタンポポの綿毛を吹き飛ばします。
彼女のおそらく最後の息、
「のぞみ」と純一の息のまざった空気は、綿毛を飛ばします。
そして綿毛は、人々の元へ。
命を授かった空気人形が、最後に命を蒔く。いいシーンです。
子供の人形を抱えて死ぬのも、命というものについて考えさせますよね。

以上が、私の感想のようなものです。
まだ制作者の意図を調べたり、別の方の感想などは読んでません。
自分が気づいた所に、気持ちよくなっている所なので(笑)。
「そんな考えもあるのか」とか 「気づかなかった」などは、これから楽しみたいと思います。
良い映画は、何度でも楽しめますね。