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↑二人の「あいか」ちゃん。今回はこの二人にも関係する話です。

過去の記事で紹介した2つの作品。
「ぴぷる」、そして「ゼロワン」。

「ぴぷる」再考察(ネタバレ)

ドーラーにおすすめ「ゼロワン」

この二つのラストで、すごく似ていることが起きます。
※以下はネタバレしています。ご注意ください。

・「ぴぷる」
主人公の幸せに自分が邪魔になっていると判断した「ぴぷる」は、自ら機能停止(自殺)してしまいます。
それに対して、ドラマ版では、主人公は空になった肉体に新たなAIを再搭載して「ぴぷる」を再び迎え入れます。
その肉体は、過去の「ぴぷる」と同一ですが、AIはまっさらな状態。
再び生活の中で育てても、同じ「ぴぷる」になるとは限りません。
それでも、主人公は「ぴぷる」をもう一度迎え入れることを決断します。

この「ぴぷる」を再び向かい入れることを、私はすごく「良いこと」と感じました。
主人公も物語の中で成長し変化しており、再び「ぴぷる」を迎え入れても、彼女がまた死ぬようなことはないと思えました。
そして、主人公の幸せのために最も重い決断(自分の消去)を選んだ「ぴぷる」を、幸せにしたいという主人公の思い(作者によると「責任」)を感じました。
自分に当てはめてみても、おそらく同じことをします。

・「ゼロワン」
主人公の仮面ライダーゼロワンが修羅の道に落ちる切っ掛けとなるのが、秘書型ヒューマギアのイズの死です。その復讐にとらわれてしまうのです。
いろいろあって、敵とは和解します。
で、主人公が最後に行うことが「秘書型ヒューマギアのイズ」と同じ物を作るということ。
外見は同じです。でも、AIは職業に特化した部分は共通でも、経験して獲得したものはありません。つまり別人です。
(死ぬ直前のイズは、シンギュラリティに達して心(自我)を手に入れていました。これは、簡単には手に入らないし、必ず手に入るとはかぎらないモノです)
「以前のイズに育て上げる」という意味のセリフまでありました。

私は、これはすごく不愉快に感じました。
最初、「ぴぷる」のラストと同じじゃ無いかと思いましたが、なぜ受ける感覚が逆なのかまるで分かりませんでした。

・両者の違い
以下は、いろいろ考えて私なりの答えです。
「ぴぷる」は、言い換えると「犬を死なせた人が、責任を持って新たな犬を飼う」に近いのかも。
※犬に例えるのが適切なのかは不明ですが。
犬が好きで幸せを願う者として、犬との関わりを捨てるのではなく、その幸せのために努力するという行為です。
死んだ「ぴぷる」と外見は同じ「ぴぷる」を再び迎えても、それは「同じ人」ではないという感覚。
もちろん、一緒に生活すれば前の「ぴぷる」のことは嫌でも思い出しますし、同じような性格に育つ可能性もあります。
でも、それは別個性として受け入れるのだろうと思います。

一方で、「イズ」。
こちらは、生き返らせる前の戦いで「イズ」の幽霊的なものが主人公の前に出てきたり、イズを人間と同じように扱っている描写が随所にありました。
そして、先にも書いた「以前のイズに育て上げる」発言。
これが例えば「もうイズのような不幸なヒューマギアは産み出さない。新たに俺の秘書として側に居る者も、必ず幸せにしてやる」とかなら納得ですが、死んだイズを甦らせたり、同じに育てたりしたらダメでしょう。
死んだことで起きた悲劇は、なんだったのか?
甦らせてオッケーなら、その死の重みは?
そして、新たにつくられた「イズ」に別の個性がうまれたらどうするのか?
別人に育ったら、「お前はイズじゃない」と突き放すのか?
こうした幾つもの違和感が拭えずに、不快に感じてしまったのようです。
まあね、製作者がそのようにした理由も分かるんですよ。
これから映画もあるし、人気キャラの「イズ」を物語から退場させたままには出来ないという、大人の理由は。
私も人間のキャラが、「実は生きてた」とかは比較的慣れているので、許せるのです。
でも、ロボットを「同じに作り直した」は、物語の根幹を破壊する危険な行為だと思います。
(ヒューマギアと人間は同じであり、共存できるがテーマ。復元できるなら、それは人間とは違うでしょう)
いろいろ文句言ってますが、映画を見に行って、元気な「イズ」が主人公のとなりに立っていれば、それだけで嬉しいのは、分かっているんですけどね。

・「あいか」ちゃん
最後に、うちのドールについて。
「あいか」ちゃんは、破損して、新たな肉体をお迎えしました。
ちょっとだけ、「ぴぷる」や「ゼロワン」に似た状況です。
前から残っている頭は、もちろん、「あいか」ちゃん本人です。
では、新たに迎えた「あいか」ちゃんの頭部はどうなのか?
私も、当初は悩んだのですが、いろいろな方のアドバイスもあって「頭は二つでも魂はひとつ」だと考えてます。

ただし、この「魂」というヤツを持ち込むと、なんでもありになってしまいます。
新しい「ぴぷる」も、以前の魂を持っている、と出来ます。
新しい「イズ」も、以前の魂が宿る、と出来ます。
「魂」を認めるなら、二つの作品ともに許すべきです。
その意味で、私の考え方は、自己矛盾しています。

オチはありません。