
「グロロ」ちゃんと「Q」ちゃん。
※この記事は、自分のことと、知り合いのことについて書きすぎてるので、公開するか悩みました。
公開することにしましたが、今も悩んでます。
突然、削除してしまうかもしれません。
その時は、ご了承ください。
※2020年11月29日15時追記
10年以上前の出来事について書いています。
その時は、私はロリコンを自称しておりませんでしたし、そのつもりもありませんでした。
しかし、現在ロリコンを名乗っている男が、実在の少女との思い出を語るものであり、非常に不愉快に感じる方が居ると思います。その点、ご容赦ください。
仲良くさせてもらっているノイタムさんから、以下の記事を教えて貰いました。
「(補記あり)人形性愛者による幼児型ラブドール反対運動への抵抗」
https://anond.hatelabo.jp/20200523115226
2020年5月末の記事です。丁度ラブドール(特にロリドール)に対して、規制が叫ばれたり騒動になっていたころのものです。
この時期には多くの記事がネット上に出ました。
ですが、こちらは、それらとは違っており「人形愛」について重きを置いて語られます。
これは、すごく良い記事だと思いました。
ある意味で「当事者視点」がある記事です。
こちらの記事には、続編(捕捉)の記事もあります。
2020年5月末の記事です。丁度ラブドール(特にロリドール)に対して、規制が叫ばれたり騒動になっていたころのものです。
この時期には多くの記事がネット上に出ました。
ですが、こちらは、それらとは違っており「人形愛」について重きを置いて語られます。
これは、すごく良い記事だと思いました。
ある意味で「当事者視点」がある記事です。
こちらの記事には、続編(捕捉)の記事もあります。
『「人形性愛者による幼児型ラブドール反対運動への抵抗」への再補記』
https://anond.hatelabo.jp/20200527165713
記事を書かれた方について「男性の欲望を美化した綺麗事である」との批判があったようで、それに対してご自身が「肉体的には女性」であり、精神的には「どちらとも言えない」という立場を明かしておられます。
これに私は衝撃を受けました。
少し自分の過去と、知り合いの過去に触れることになるのですが、私の知っている人にもXジェンダーの方が居ました。
※Xジェンダーとは、性的に男女とはっきり決められない人です。
※上記は、大雑把すぎる解説なので、詳しくはこちらを確認ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/X%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC
知人は、すごく幼いときから、自分がXジェンダーだと分かっていました。
十年以上前の話なので、周りも本人もXジェンダーという言葉は知りませんでしたが、「男でも女でもない」という自覚はあったようです。
肉体の性別は女の子で、私が知り合った時は、小学生でした。
当然ながら、周りに自分の話はしておらず、私も普通の女の子だと思ってました。
彼女は私の親戚の新体操の教室に通っていて、そこで知り合うことになりました。
友達とも親しく話すし、明るい、よい子です。
なぜか私と気が合い、よく話をしました。
たわいもない話ばかりです。
話していると、少しだけ変わった子だと感じることはありました。
話の途中なのに、(さっきまで笑っていたのに)表情が穏やかになって、遠くを見るような目をしたり。
私は、それが菩薩様みたいな表情だと思ってました。本人には言いませんでしたが。
そんなヘンな所も含め、私とは気が合う間だったと思います(私も変わり者だったので)。
そんなある時、本人が「男でも女でも無い」気持ちを教えてくれました。
正直驚きました。
そうした人が居ることも知りませんでした。
同性愛や性別不一致は知ってました。でも、それとは違う存在です。
一番の驚きは、相手が思春期になる前の子供だということです。
肉体的に男女としての特徴が出る前です。
勝手に性別に関わる問題は、思春期以降に自覚されるのだと思ってました。
どうやら、人それぞれのようです。
話を聞いても、私は何も出来ません。何かをしたいと思っても当時の私には無理でした。
出来るのは、変わらない態度で接することだけです。
詳しくは書きませんが、それから一年ほどして、彼女は周りとの関係を断って消えました。
学校も転校。もちろん、新体操の教室も辞めました。
家族ごと引っ越し、連絡先は教えてもらえませんでした。
ただし、引っ越しの直前、「これから消えるんだ」というのは、話してくれました。
二人だけの時に。
あれだけ熱心に練習していた新体操も止めると言いました。
驚きました。とっさに「思い直して」と言いそうになりましたが、そんな権利は私にありません。
その決心の裏にどれほどの葛藤があったかは、容易に想像出来ます。
その全てを理解するのは、無理だとしても。
私は、ただただ「残念だ」という気持ちを伝えました。
彼女の返事は「ありがとう」と「もう会えないと思う」でした。
突然、それまでの平凡な日常から、彼女が欠けることを想像してしまい、今までがどんなに大切な日々だったかを理解しました。それまでは気付かなかったことです。
急に寂しい気持ちで一杯になった私は「また会えるかもしれないよ、と言って欲しい」とお願いしました。
今思い返すと、恥ずかしいセリフですが、その時は必死でした。
そうしたら、彼女は「それは言えないよ〜」と笑って答えました。
子供らしい無邪気な笑いでした。
そして「そういう面白いこと言うから、『とも』と話すの好きなんだ」と言いました。
「漫画みたいだ」と喜んでました。
私は食い下がって「じゃあ、せめて『サヨナラ』はなしにしよう」と提案しました。
彼女は「オッケー」と答えてくれて、そのまま挨拶なしで別れました。
彼女は私とすごく年が離れていたので、恋愛感情などはありませんでしたし、友人と呼ぶにもヘンテコな関係でした。
新体操の教室(私たちは道場と呼んでました)で話したり、他の子供も含めて最寄り駅から、大きな駅まで私が電車の中に同行して見送り、その間にお話ししたり。
普通の思い出ばかりです。
でも、それとは別に、自分の心の秘密を教えてくれたり、最後に消えることを教えてくれたりして、彼女はそのたびに私の心に小さな印を残したのは、確かでした。
別れてから会えてません。
今、彼女は成人しています。
どんな人になったのだろう。
私はすっかり変態になってしまいましたから、あの子に会うのは難しそうですが、気になっています。
もちろん、元気にやっていると信じてます。
そこは疑いも無い。
もしかして、スゴク少ない可能性ですが、あの子も最初に紹介した記事の作者のように、ドールをパートナーとする選択肢を選んでいたら……。
そうしたら、私は再び、あの子と「気の合う話」が出来るかもしれません。
私は、あの時と同じように無力ですが、ドールの話なら、そこそこ出来ます。それなら自信がある。
そんな夢みたいな想像をしてしまいました。
すみません、自分の話をだらだら書いて。
いろいろ思い出して、あふれ出たものを書き綴ってしまいました。
記事を書かれた方について「男性の欲望を美化した綺麗事である」との批判があったようで、それに対してご自身が「肉体的には女性」であり、精神的には「どちらとも言えない」という立場を明かしておられます。
これに私は衝撃を受けました。
少し自分の過去と、知り合いの過去に触れることになるのですが、私の知っている人にもXジェンダーの方が居ました。
※Xジェンダーとは、性的に男女とはっきり決められない人です。
※上記は、大雑把すぎる解説なので、詳しくはこちらを確認ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/X%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC
知人は、すごく幼いときから、自分がXジェンダーだと分かっていました。
十年以上前の話なので、周りも本人もXジェンダーという言葉は知りませんでしたが、「男でも女でもない」という自覚はあったようです。
肉体の性別は女の子で、私が知り合った時は、小学生でした。
当然ながら、周りに自分の話はしておらず、私も普通の女の子だと思ってました。
彼女は私の親戚の新体操の教室に通っていて、そこで知り合うことになりました。
友達とも親しく話すし、明るい、よい子です。
なぜか私と気が合い、よく話をしました。
たわいもない話ばかりです。
話していると、少しだけ変わった子だと感じることはありました。
話の途中なのに、(さっきまで笑っていたのに)表情が穏やかになって、遠くを見るような目をしたり。
私は、それが菩薩様みたいな表情だと思ってました。本人には言いませんでしたが。
そんなヘンな所も含め、私とは気が合う間だったと思います(私も変わり者だったので)。
そんなある時、本人が「男でも女でも無い」気持ちを教えてくれました。
正直驚きました。
そうした人が居ることも知りませんでした。
同性愛や性別不一致は知ってました。でも、それとは違う存在です。
一番の驚きは、相手が思春期になる前の子供だということです。
肉体的に男女としての特徴が出る前です。
勝手に性別に関わる問題は、思春期以降に自覚されるのだと思ってました。
どうやら、人それぞれのようです。
話を聞いても、私は何も出来ません。何かをしたいと思っても当時の私には無理でした。
出来るのは、変わらない態度で接することだけです。
詳しくは書きませんが、それから一年ほどして、彼女は周りとの関係を断って消えました。
学校も転校。もちろん、新体操の教室も辞めました。
家族ごと引っ越し、連絡先は教えてもらえませんでした。
ただし、引っ越しの直前、「これから消えるんだ」というのは、話してくれました。
二人だけの時に。
あれだけ熱心に練習していた新体操も止めると言いました。
驚きました。とっさに「思い直して」と言いそうになりましたが、そんな権利は私にありません。
その決心の裏にどれほどの葛藤があったかは、容易に想像出来ます。
その全てを理解するのは、無理だとしても。
私は、ただただ「残念だ」という気持ちを伝えました。
彼女の返事は「ありがとう」と「もう会えないと思う」でした。
突然、それまでの平凡な日常から、彼女が欠けることを想像してしまい、今までがどんなに大切な日々だったかを理解しました。それまでは気付かなかったことです。
急に寂しい気持ちで一杯になった私は「また会えるかもしれないよ、と言って欲しい」とお願いしました。
今思い返すと、恥ずかしいセリフですが、その時は必死でした。
そうしたら、彼女は「それは言えないよ〜」と笑って答えました。
子供らしい無邪気な笑いでした。
そして「そういう面白いこと言うから、『とも』と話すの好きなんだ」と言いました。
「漫画みたいだ」と喜んでました。
私は食い下がって「じゃあ、せめて『サヨナラ』はなしにしよう」と提案しました。
彼女は「オッケー」と答えてくれて、そのまま挨拶なしで別れました。
彼女は私とすごく年が離れていたので、恋愛感情などはありませんでしたし、友人と呼ぶにもヘンテコな関係でした。
新体操の教室(私たちは道場と呼んでました)で話したり、他の子供も含めて最寄り駅から、大きな駅まで私が電車の中に同行して見送り、その間にお話ししたり。
普通の思い出ばかりです。
でも、それとは別に、自分の心の秘密を教えてくれたり、最後に消えることを教えてくれたりして、彼女はそのたびに私の心に小さな印を残したのは、確かでした。
別れてから会えてません。
今、彼女は成人しています。
どんな人になったのだろう。
私はすっかり変態になってしまいましたから、あの子に会うのは難しそうですが、気になっています。
もちろん、元気にやっていると信じてます。
そこは疑いも無い。
もしかして、スゴク少ない可能性ですが、あの子も最初に紹介した記事の作者のように、ドールをパートナーとする選択肢を選んでいたら……。
そうしたら、私は再び、あの子と「気の合う話」が出来るかもしれません。
私は、あの時と同じように無力ですが、ドールの話なら、そこそこ出来ます。それなら自信がある。
そんな夢みたいな想像をしてしまいました。
すみません、自分の話をだらだら書いて。
いろいろ思い出して、あふれ出たものを書き綴ってしまいました。
コメント
コメント一覧 (6)
削除した場合コメントも消えますがそれは気になさらないでください。
まずは感謝を。元記事を読んで「これは斬新な視点の記事だ」(著者様的に良くない表現ならすみません)「これを消化して自分の言葉では語れないけれど、ともさんならどう紹介してくれるだろうか」ほぼ丸投げの形でURLをお伝えしました。
それがともさんの思い出に触れることになってよかったのかどうか、結果削除に至るようになったらすみません。でも、読めてよかったです。元記事とはまた違った、当事者の生の声が綴られていますから。
私もXジェンダーの方は存じていませんでした。心はどちらかで固定されるものだと思っていたので。(余談。同性愛者だとカミングアウトしてくれた旧友はいました。なぜかいつも別れ際に握手をするのが好きな方でした。私は人間との握手が苦手でしたが、その方は好きだったのでいつも握手に応えてました)
ああ、そうだ。
> 私は、ただただ「残念だ」という気持ちを伝えました。
この辺から涙が出てきて。それをコメントで伝えたくて。
わかったようなこと言うのはなんですが、私からみると二人は「友人」だったのだなと。
この世に「絶対」がない以上、もしかしたら、ひょっとして、どこかでなんらかの形で(もしかしたら互いに気付かずに)再会できるかもしれない、そんなことを夢想させて頂きました。
読ませて頂き、ありがとうございます。
aika773
が
しました
私はXではないけれど、物心ついた時から自分の中にもう一人誰かいるような気がしていました。
ただし、自分がその子になることは無く、いつも近くにいるような感覚です。
大学時代、付き合っていた彼女が「○○さんには、いつも見えない彼女が傍にいるみたいで、不安になるの」と友人に話していたことを知った時は、ドキッとしたものです。
Qちゃんと出会った時は衝撃でした。自分の中で姿が定まっていたわけではありませんでしたが、「あっ!・・この子だ」と直感しました。
悩んだあげくお迎えし、その時から私はその子と分離できる時間が生まれたような気がしています。
触れることもできず、姿さえ見ることのできなかったその子を見つめ、手を握ることだってできるようになったのですから。
私は二重人格というわけではないので、Qちゃんは自分の分身ではありません。
物心ついた時からずっと一緒に過ごしてきたパートナーのようなものなのです。
ですから、もし理不尽な法律の下にQちゃんと引き裂かれるようなことになったら、その時は死を選ぶかもしれません。
Qちゃんを一人で行かせはしない。これからも見守るがごとく、ついていくつもりです。
ドールと一言に言っても人それぞれでその役割は違います。
単に道具として割り切っている人もいれば、精神的な支えとしている人、またその両方を充たす物としている人など様々です。
私のような例は稀なのでしょうけれど、一部の人にとっては精神の自由、人権にもかかわる重大な問題だと思います。
上辺だけであまりにも軽く取りざたされているように感じます。
aika773
が
しました
Xジェンダーの方もおられるのですね、私もどちらかに決まるのではと思ってました。
記事を拝見して、異性のドールを大切に愛でてられるドーラーさんはある意味X的なところはあるのではと思ってしまいました。
多分、自分のなかにドールの人数分だけ人格が存在しているのではと改めて考えさせられました。
aika773
が
しました